2023年9月15日、父、僕の父親である塩田健は、心臓発作のため、他界しました。
こんなに早く父を失うと想像もしませんでした。
突然でした。
悲報を聞くとすぐに、私は飛行機を予約して、シドニー(オーストラリア)から日本へ飛びました。
父は家では口数が多くなく、優しく見守ってくれるタイプ思いやりがありました。私は家族の唯一で最年長の長男だけであるので、彼は非常に多くの重要な人生の教訓を教えてくれました。
父と私の関係は、必ずしもよくありませんでした。
私が小学校にいたとき、彼は非常に厳しかったです。
僕達の幼少期は、僕ら3人の習い事の送迎や、父が大好きであったヤマダ電機によく連れて行ってくれました。長期休みの度に、国内旅行に運転手1人で連れて行ってくれました。会社の運動会や、潮干狩りにも一緒に参加したことは今でも覚えています。
僕が中学、高校時代の頃は、お互い性格が反対であることもあり揉めることも多く、お互い必要最低限のこと以外は話しませんでした。父はエンジニアの仕事柄、細かいことが得意でプラモデルや家具作りが上手でした。コミュニケーションのスタイルも少ない口数でものごとを伝えるタイプ、そして頑固でした。僕はその反対で、大雑把で勢いでものごとを進めるタイプで、コミュニケーションのスタイルは出来るだけ言語化して具体的に話すタイプでした。
そして僕が16歳の時に父は家を出て、ひとり暮らしを始め、僕達子ども3人は母と暮らし始めました。
それからの方が父との関係は良くなり、1年に数回おばあちゃんの家で集まり、お互いのお誕生日や父の日にはプレゼントやメッセージを送り合っていました。僕が20歳の時、大学を1年間休学して、オーストラリアに留学前、父と初めてお酒を飲んで「頑張って勉強してこい。」と言われ、一気に距離が近くなった気がしました。その1年後、僕は父が卒業していた同志社大学を中退することを決意し、オーストラリアの大学に1から入学することを決意しました。今はオーストラリアで働いているのでオーストラリア在住歴は6年になります。もちろん母や母方の祖父母には反対されていましたが、父にはそのことは事後報告でした。テレビ電話でそのことを伝えた時、どういう反応をするか怖かったのですが、父は最初は悲しそうにしてたものの「自分の人生やねんから、したいことをしたらいいよ」と言ってくれました。
そして去年8月,僕が25歳になる年に、ついにオーストラリアの大学を卒業してオーストラリアでの就職が決まったので日本に一時帰国した時に、父と2人でお寿司を食べに行きました。残念ながら、父に会ったのはこの時が最後でした。父は大学を卒業して、アメリカン・エキスプレスに就職が決まったことを誇りに思ってくれました。そして、今まで育ててもらい、学費もサポートしてくれたことへの感謝の気持ちを伝えることが出来ました。そのお礼にそのお寿司代をご馳走しようと思いましたが、父は「まだ働き始めてないんやから、今度会ったときに奢って」と言われ、僕に奢らせてくれませんでした。
そんな父は2023年9月15日、享年54歳で、急性心筋梗塞で車の中で他界しました。
本当急で、同じように今も信じられません。父はよく「どんな人にも平等に接してください。兄弟は家族を大切にしてください。パパはいつでも味方やからな。」と言っていました。ゆかり、なつみと共に、もっとこれから社会で活躍し、新しい家族を築いていこうと思っていたので、その姿を実際に見せることが出来なくて、悔しい、悲しい気持ちでいっぱいです。でもきっと、ずっと僕らを愛してくれて見守ってくれていることと思います。
僕は彼を見送ることに多くの後悔があります。
父に食事を奢ることが出来ませんでした。
最後のビデオ電話は、1月でした。
もっと電話を頻繁にして、ありがとうと言うべきでした。
でも、もう遅いです。
お父さんへ、
あなたはご家族、同僚を含めたくさんの人間に尊敬されていました。安らかに眠ってください。
父の葬儀を機に考えたこと
今回、10数年ぶりに日本のお通夜とお葬式に遺族側として出席しました。オーストラリアに住んでいるので、準備が間に合わず、喪主は父のお兄さんがなってくれました。自分が喪主を務めていたら、もっと大変だったと思います。家族葬のつもりで実家の近くである京都の園部で行いましたが、父の勤め先であった村田機械株式会社関係の人たちがなんと100人ほど来てくださいました。なんと代表取締役社長様の姿も見えました。これには本当に驚きでした。父は本当に会社に貢献していて、尊敬されていたんだと感じました。お通夜の後、葬式場に祖父母、祖父母の妹の旦那さん、妹2人と共に泊まりました。お櫃の中にいる父は寝ているみたいでした。でも、顔に触ると冷たくて息もしていませんでした。翌日の葬儀には長男として、挨拶もさせていただきました。この二日間が一番精神的にキツかったです。それと同時に父の家族や同僚、友達ともお話しさせて頂いたんですが、人間が死んで語られるのはその人が成し遂げた偉業や業績ではなく、「その人がどんな人であったかと、その人が自分にどういう影響を与えたか」ということです。多くの人にポジティブな影響を与えて、笑顔に出来る人と思われながら、僕は死を迎えたいです。当分死ぬつもりはありませんけど、、笑
日本、仏教スタイルの葬儀は非常に興味深いものでした。そしてこれを機に、キリスト教、イスラム教、仏教含め色んな宗教の葬儀と埋葬の仕方を調べていくと、色んな宗教によって「死ぬ」ということに対しての考え方が違います。まずキリスト教では、この世にはやがて終りがきて、すべての人間が最後の審判にかけられるという思想があり、この最後の審判の日に故人の魂は肉体に戻り復活すると考えられています。 火葬により肉体を焼いてしまうと、戻るべき肉体が亡くなってしまうため、肉体を残す土葬という手段がとられるのです。最近では費用・環境・衛生面などの理由により、世界的に火葬が一般化する傾向があります。
僕の実家は仏教の浄土宗でしたが、ほとんどの仏教は遺体を火葬して遺骨にします。これは、人間は死ぬとまた、新しい命となって生まれ変わると考えられているからです。人間、犬、猫、昆虫含めどんな命になって生まれ変わるかどうかは分かりません。日本の火葬は火葬場の炉で行われ、約1時間半から2時間で骨となった後は、火葬場係の支持によって骨あげと言われる収骨の儀式が行われます。ここでは、足から頭へ向かうような順序で骨を骨壺へ入れ、最後に故人と縁の深かった遺族によって喉の骨が納められます。
恥ずかしながら、お通夜と葬儀でお焼香をする理由を知らなかったので調べました。仏教においては、「香り」は仏様のご飯になるといわれています。 そのため仏壇にも香りを捧げる文化があります。 さらに、「極楽浄土は良い香りでいっぱいであり、極楽浄土からやってくるお迎えはこの香りをまとっている」とされています。 このことから、極楽浄土のあり方を現世に反映させようと、お焼香が行われるとされています。
今回2週間日本に帰っていたのですが、本当に毎日忙しくて、特に葬儀が終わってからは、父が住んでいたアパートの片付け、遺品整理、書類の手続き等で毎日やることだらけでした。歯医者や血液検査など、オーストラリアですると高いものは全部日本で済ませてきました。
今回、自分の父親が亡くなったことで「家族」の形という美しさを感じました。父の遺族として集まった従兄弟家族や祖父母の家族など親戚が集まったのも本当に久しぶりで、赤ちゃんだった従兄弟が高校生や大学生になっていたりして、びっくりしましたし、みんな成長していて、親戚の1人として誇りに思いました。友達や、学校、職場、恋人など人間の人生で変えられるもの、リスタートが出来るものってたくさんあると思います。でも、家族って変えられないものだし、自分の意思だけで親戚は選べないし、そういう意味で家族ってのもは一生ものだと思います。だからこそ、家族や親戚と持つたわいも無い会話の時間だったり、お正月やお盆に集まるご飯会だったりっていう時間をこれからもっと大事にしようって思いました。最近、同い年くらいの友達の婚約や結婚ニュースがSNSでめっちゃ多いんですが、本当に勇気があるなって感心します。まだ25歳で結婚を決めるのは早いんじゃないかとも思いますが、逆にその若い時に、一生家族として一緒に生きていきたいって思える人と出会うことってほんまに奇跡やと思います。正直に言うと、法律上、結婚するということの意味が分からんって前は深く考えていないし、結婚のこととか考えたくもなかったです。でも、今回の父親の死を機に、法律上家族になるって言う意味の理解が深まったと思います。遺産相続をはじめ、人間の死というものはその人の家族の多くの人を巻き込みます。巻き込むという言葉はマイナスに聞こえますが、多くの人が関わってくるってことです。でもその「家族」も法律上誰かが結婚していなかったら、家族ではないわけです。言語化するのは難しいので今日はこのくらいにしておきますが、将来自分が誇れるような家族や親戚を作っていきたいと思います。これからもこんな僕ですが、応援よろしくお願いします。
参照:日本ではなぜ「火葬」なのか?